藤はなの窓
Column

2020.3.24
Covid-19

Covid-19(新型肺炎)の災禍は人権以前に人の結びつき、関係を大きく変えてしまっていくような怖さを感じます。
隔離や特措法改正の際には、菊池事件再審やハンセン病を思い出された方も少なくはなかったと聞いています。
マスクの転売、トイレットペーパーの買い占め、アルコール洗浄剤の中身抜き取りなど、
「今だけ、金(モノ)だけ、自分だけ」を地でいっています。

ネットでのアクティブシニア叩きの言葉の汚さにも辟易とします。クラスター感染の原因の一つが高齢者の活発な活動のせいだとか。もとより、現在は、過去の総体でもあり、時間は常に流れて未来に開放されています。
時間や年齢、いのちそのものの・親子のスタートでさえ、屁理屈をこねるまでもなくお金で買うことは出来ません。
自己は、自分だけで成立しえないことも分かっているはずです。
ご縁があるから、「有り難う」と感謝し、無常であるから今に感謝し、断絶出来ない関係だからこそ他者を尊びます。

Covid19の感染を軽減するために、欧米では、挨拶を握手やハグから胸の前で手を合わせたお辞儀に替える運動が起きているようです。そうです。印度で「ナマステ」(=あなたを敬います)と云う合掌のあの姿、あの挨拶です。
私達が大人も子どもも普通にしていた食事の前の「いただきます」ということばや、映画でよく見かける両手の指を重ねあわせ額につけた「御恵みに感謝します」という何気ない動作と言葉に生命の真実が伝え続けられていると思います。
忘れていたら思い出せば良いのです。人はけして独りでは生きていけないのです。
相手を傷つける関係は、自身をも傷つけていくでしょう。まずは誠の言葉を口から静かに紡いでみませんか。(文:神居文彰)

最近の記事

平等院堤のこと
2022.4.9

鳳凰の卵
2021.9.1

フェノロジーということ
2020.12.28

コラム一覧へ戻る