藤はなの窓
Column

2019.1.15
亥年におもう

仏教は、「時は流れる」ということを具体的にそのロジックの中で体系づけていきす。
そして、同じ瞬間はどこにも無い、その中で生まれ生きていく、様々な結びつきのなかで、ということを「縁」という概念で証明していきました。

今年は、動物に当て嵌めた説話では、亥歳にあたりますが、この動物、中国では野豚で、無病息災を意味します。
新年の神への挨拶に山を違え最も遅く駆けつけた動物としても知られています。

元々星座や方位、植物の状態を理解することから始まった干支ですが、周期という概念を定着することに役立ちました。
廻り戻ってきつつ、けっして同じものでない。多くの可能性と結びつきを切り離すことが出来ない。
そして、始まりと終わりが必ずある。これが、「縁」です。

十干の己(つちのと)は、草木が十分に生い茂って整然としている、つまり道理の通った状態を意味します。
最後であっても駆けつけることのできた亥。
私達は、誤解や間違いがあっても、最終的に到達する目的にたどり着けば良いのです。

亥は、方角的には北北西に配置され、阿弥陀仏が守護します。
阿弥陀仏は救済の確実を伝え、私達に希望をもたらします。
仏の救済を信じ、至らない自身で様々な「縁」をムシ美ながら歩み続けるしか出来ない自分に矛盾はありません。
最終的には救われる自身が縁の中にいるのです。

平成最後の歳のはじまり、一歩踏み出す自分の足跡を探してみましょう。 (文・神居 文彰)

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