藤はなの窓
Column

2019.6.5
山紫水明の地

まずは下に掲げた図をごらんください。これは、平等院がある旧宇治市街とその周辺の地形を示したものです。

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 国内で最大の内水面、琵琶湖から流れ出る唯一の自然の川である宇治川が、南東の方向から谷筋をぬけて山城盆地(京都盆地)に顔をのぞかせる地点に、街がひろがっている様子を見て取ることができるでしょう。このような立地条件にあるところは、ほぼ例外なく山紫水明の地となります。同じ京都盆地では、たとえば保津川が流れ出てくる嵯峨・嵐山も似たような立地です。やはり、古来より貴族が別業(別荘のこと)を数多く営んだ土地でした。いずれの地においても、緑濃い山々の稜線と斜面を背景として、年間を通じて豊かな水量に恵まれた川が流れ、それを間近に眺めることができる平坦で広々とした土地がひろがっています。少し足をのばせば、まちの全貌を見渡すことのできる小高い丘にあがることもできたはすでず。また、川筋に近い場所では、京都盆地の真夏の暑さを忘れさせてくれるような涼風が朝夕に感じられたのではないかと想像できます。

 もう少しくわしく見てみましょう。旧宇治の街が広がる地域のうち、宇治川の左岸側(上流側から見て左手)では、南側(図の下側)に向かって幾筋もの小さな谷が入り込んでいることがわかります。このあたりは宇治川の河岸段丘に相当するのですが、その段丘を切り刻むように短く浅い谷筋が形成され、それらに沿って流れ出る小さな河川が下流に扇状地の地形をかたちづくっていました。扇状地は、川が上流から運んでくる礫や砂利、砂などの堆積物によってつくりあげられる水はけのよい土地です。地中にできる水の流れである伏流水も豊富で、扇の先端にあたる下流部では豊かな湧水が発生することが知られています。ここも例外ではなく、室町時代から「宇治七名水」と呼ばれた湧水を水源とするもののうち、6つはこのエリアに集中しており、そのうちの「阿弥陀水」と「法華水」は、平等院の境内にその遺構がのこされています。浄土庭園において海の景を表象する池は、これらの湧水を水源としていました。

 宇治において、平安時代の中期から貴族の別業が数多く営まれたことには、このような自然条件を巧みに活かそうとした人々の感性が直接、間接に作用していたはずです。現代人が人工的な環境の中で忘れかけている自然との接点を、山紫水明の土地柄が今なお随所にのこされている宇治の街でさがしていただくことができるのではないでしょうか。なお、このような地形と水系、それらがつくる地質の特徴は、鎌倉時代以降に宇治でさかんになったお茶の生産と密接に関わっているとされています。そのことについては、また別の機会にご紹介しましょう。(文・宮城俊作)

図版:国土地理院提供の数値標高モデルをもとに作成

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