藤はなの窓
Column

2020.2.24
洲浜の石

令和2年の冬、平等院では阿字池の中、鳳凰堂の周囲を取り囲む護岸の洲浜を補修する作業を行いました。この洲浜は、平成2年度から13年間にわたって実施された「史跡及び名勝平等院庭園」保存整備事業を通じて復元されたものです。この度の補修は、当初の復元整備事業から約15年余を経て、補正すべき点が散見されたために実施したものですが、その主たる内容は洲浜に用いられた石材を創建期の宇治川由来のものにとりかえる作業でした。

洲浜とは、伝統的な日本庭園にある池や流れの護岸意匠として古くから用いられている手法のひとつで、池や流れを海や河に見立てる時、岸辺の表現として礫を敷き詰めた面をつくるものです。彼岸(浄土)と此岸(現世)を隔てる海を表象している平等院庭園の阿字池では、池の両岸に洲浜が存在したことが平成期の発掘調査によって明らかになっています。敷き詰められた礫の大きさは、場所によって大きさや形がすこしずつ異なっていますが、鳳凰堂が建つ中島の北側から東側、ちょうど中堂の前面に相当する部分では、大人の握りこぶし大で形のそろったやや扁平なものが行儀よく並んでいる様子をみてとることができるでしょう。個数にすると、1平方メートルあたり200個程度になります。

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さて、この洲浜の石ですが、これらは現在の宇治川の河原にある石とほぼ同じものであることがわかっています。むろん、創建期にはもっとも入手しやすい身近にある石材を利用したであろうことは想像に難くはありません。当時の民間信仰によれば、宇治川そのものが現世と浄土を隔てる「三途の川」に見立てられていたとも言われていたので、河原の石がそのまま洲浜の石に置き換えられていたとしても、なんら不思議なことではないでしょう。

石質としては、頁岩(けつがん)、砂岩、角岩(チャート)が主なもので、特に砂岩が全体の半分を占めています。これらは、宇治川の水流によって上流から運搬されてきたもので、その過程で丸みを帯びた形状と滑らかなテクスチャーへと変化しています。色調にすると大部分は緑灰色から青黒色、明度としては暗色系に偏っていて、乾いた状態では白っぽく見える石の群れも、ひとたび雨に濡れると深みを帯びた艶やかな表情を見せてくれます。さらに、この中にはごく少数、数としては1%程度ですが、明るい緑灰色の砂岩、赤褐色の角岩、白色系の石英や花崗岩が含まれています。実は、これらの石は暗色系の石の群れの中でひときわ異彩をはなつ差し色になっているのです。このあたりにも、極楽浄土の華やかなイメージが隠し味のように潜んでいるのかもしれません。

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この度の補修では、これに先だって行われた宇治川河川整備事業の河床掘削によって排出された石材の一部を利用させていただきました。970年の時を経て、宇治川と平等院庭園の間に再び深い縁が切り結ばれたことを感じていただければと思います。

(文:宮城俊作)

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