藤はなの窓
Column

2018.5.6
目に見えるものもしくは認識ということ

鳳凰堂は何色に見えますか?赤ですか、土色ですか? 

鳳凰堂全景・S 神居撮影-s-.jpg

先回の鳳凰堂平成修理では、大きく三つの柱がありました。
一つは、瓦の葺替えと古代瓦の再用。
二つ目には、金工品を全て鍍金で金色に戻すこと。
三つ目は、外装塗装=色です。

鳳凰堂の堂内は平安時代の彩色と絵画が残されているため躯体木部表面に手を加えることは出来ません。
しかし、外装は保存の観点からも全面に塗装を施す必要がありました。
長い調査の結果、創建時の塗装には、丹土(につち)と呼ばれる酸化鉄系の顔料が用いられていたことがわかったのです。
その赤色顔料を用いた塗装が今回の修理です。

仏教で色(しき・rupa)は、認識の対象となる存在そのもののことを云います。
その物質現象は、全て移り変わり一時も同じ状態ではありません。
この森羅万象ともいえるものを日本人の感性は、色(しき)という漢字を表顕されたものである「いろ」と認識したのです。

仏教で赤は平等性智と云われ、全てが平等であることを知る智慧をあらわします。
さらに大慈悲心により常に救済を行う精進をも意味します。

鳳凰堂の塗装色もいつまでも一定ではないでしょう。徐々に変化していきます。
そこへの関わりこそ、これを護持するための世代を超えた意志と行動があると信じています。

(文・神居文彰)

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